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水に流す

ランディさんの 『できればムカつかずに生きたい』  
に心に残る言葉がまた一つ

 「水に流す」 「センタリング」

いったい、息って、呼吸って何なんだよ。不思議だった。これほど人間にとって重要なものが他にあるんだろうか?でもいったいなぜ?そしてなぜ多くの人はこの事実を知らないのか?

呼吸に意識を集中して、呼吸を整える。そのことに慣れてくると、確かに情緒は安定する。興奮している時は、過呼吸気味だし、緊張している時は息を止めがち・・・・・つまり酸欠がちだ。そういう時に、身体へ酸素の供給量を安定させてあげると気持ちが落ち着く。それは理屈でわかる。脳内物質が調整させるからだろう。

でも、それと同時に、もうひとつの事が起こる。それがセンタリングだ。
センタリング、つまり自分の中心に意識が落ち着く・・・・・というべきか。

よく、呼吸法で 「丹田(おへその下の下腹部のあたりのこと)に意識を集中して呼吸してください」 というような事を言われる。

丹田に集中しながら呼吸をしていると、私は妙な気分になる。うまく言えないのだけれど、なんだか川の中にぷよぷよ浮かんでいるような感じ。ちょうど丹田のあたりに鉛が入っていて、私の身体は川底にのっかった 起き上がりこぼし みたいに座っている。重心が鉛だから流されることはないのだけれど、川の水が身体の周りに水流をつくりながら流れ去っていく・・・そんなイメージだ。

気功の研究家の上野圭一さんに言わせるとそれが「センタリング」なんだそうである。自分の中心を知ること。そして、自分の中心に意識を置けるようになると、外部からの刺激が加わってもその中心から自分が大きくそれることがなくなり安定するのだそうです
早い話、ゆったりと意識的に呼吸をしていると、自分の中心にいることができるようになる・・・・・ということなんだろうか。このあたり、うまく言葉で表現できない。

― 中略 ―

最近は不愉快だなあと思っても、それは10分から20分で消えてしまう。非常に精神衛生上良い。これは忘れてしまうのでは決してない。日本語にちょうどぴったりの表現がある。「水に流す」って感じなのだ。

水に流す・・このニュアンスは「ファゲット」ではないよね、忘れるんじゃなくて流れていく。そうまさに、そんな感じなのだ。

川の上を、プカプカ壊れた下駄が流れていく。それが自分にぶつかる。自分もなんとなく下駄の方に引かれる。でも自分はまた元の位置に戻る。そういう感じだ。影響は受けるけれど、自分もいっしょに流れない、外から来たものが去っていく。

それで、私は思った。なんだそうか 「こだわりを捨てる」 とか 「欲を捨てる」 とか言うけれど、それは、 「こだわらない」 「欲を持たない」 ということでは決してなくて、
「一度こだわって、すぐ捨てる」
ってことだったんだ。それならわかる。

私は22歳の頃「こだわらない」「欲しがらない」のが自我を捨てることだと思っていた。

だから、そんなのつまんないと思っていた。そうじゃなくて、

あらゆる刺激に反応しながら、でもそこにとどまらない

・・・ってことならこんな素晴らし生き方ってないなあって思えた。そんな風になれたらいいなあ、って初めて思えた。
 
反応はするけどとどまらない。 
影響されるけど流されない。
自分に戻る。
 

こんな簡単なことが私はアホなので15年もわからなかった。



呼吸法によって 「センタリング」 「水に流す」 を習得?したら、もっと楽に、もっと自由に、もっと余裕をもって、もっと自信をもって生きていけるかも?

by keisyan | 2005-02-13 15:20 | 読書