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出会い

入院中のなおちゃんにお借りした本 「親鸞からのメッセージ」 を読んでいると・・・

「出会いというのは、知り合うというのとは違います。出会いっていうのは、やはり同じところに立つ、同じところに身を置いたという感覚が出会いという感覚じゃないかと思うんですね。」

そっか、なおちゃんに私の好きな詩 ゲシュタルトの祈り をプリントアウトして渡すときに 「出会い」 についてうまく説明できなくてもやもやしていたのですが、その彼女から借りた本に答えがありました。

でね、なおちゃんに 「探していたものが見つかりました。ありがとう(^O^)/」 とお礼のメールをしたら、長いお返事がきました。


聖書の中で、私の好きな箇所の1つは、姦淫罪を犯した女性が石打の刑にあおうとしている所へ、イエスが通りかかり、「あなた方の中で自分は一度も罪を犯した事のないという者があれば、石をなげなさい」と言った。石を投げる者は一人もなかった。という所です。

私があなたを許すのではない。私が許されてここに在るように、あなたも許されてそこにおられる。同じ地平に立つとは、そのような感覚かと思われます。

ゲシュタルトの祈りと一瞬相反するようで、実は深く響き合う感覚であるとも思います。

昨夜から今朝にかけて、資料を全部読みました。本当にありがとう。繰り返し読みます。ただちゃん にも会えました。

自分の状況を冷静に客観視する視点をもらえたように思います。

症状に囚われ、おぼれている時間が多いのですが、揺れる心のままに、希望を見失わずにいたいと思っています。マッサージから戻って、注射、安定剤服用、痛みは治まったものの揺れる頭に苦しんでいる最中に、ケイしゃんのメールにお返事したいな、という心が隅から湧きあがり、打ってるうちに頭の揺れが止まってきました。
(気が抜けると揺れにみまわれます。‘気’が弱ってるみたい・・・)

人の間を生きる、人間らしい生き方を少しずつ回復しつつある事に喜びを感じています。もともと不特定多数の人に対して自分を開くのが苦手(自己開示が下手)で、特に弱ってる今、掲示板に投稿する元気はありませんが、たくさんの方からのお声かけを読んで、ネットワークの大きさに驚き、同時に苦しいのは一人じゃないんだ、と大きな励みになっています。

ケイしゃん、これからも、どうぞボチボチよろしく。ほんとにありがとう。


「メールを打つのは疲れるから、お返事はいいよ!」  と伝えてあったのですが・・・でもうれしいですね。
 
今日はただちゃんからも 「センセのところへ治療に行くので、なおちゃんに伝えてちょ!」 とのメールがあったのです。

気が抜けると目が回るなおちゃん、気が抜けると痛みがでるケイしゃん^_^;

昨日は背中が痛くなり、動悸、眩暈、息苦しさも加わってセンセに治療していただいたのですが、上の症状を訴えると・・・

センセ 「上(なおちゃんの病室)に行ってきたの?」

ケイしゃん 「まだ、治療が終わってから行く」 

「ふーん、なんかなおちゃんと症状がそっくりだね」 

そのことをなおちゃんに話したら、なおちゃんも昨日から動悸が激しいとか^_^;

なおちゃん 「移っちゃったのかな^_^;」

それって、ケイしゃんの得意技かも(ーー;)

by keisyan | 2005-02-26 17:19 | 読書