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賢い患者になろう

センセのブログ 賢い患者の七大戦略 をもうちょっと詳しく解説



1.否定的見解を認めない

治癒に成功した患者たちも、そのほとんどは医療関係者から、特に医師からの「見込みのない」「手のほどこしようがない」「治る可能性はない」などといった、希望を失わせるような言葉をきかされている。
しかし、彼らは聴く耳を持たなかった。否定的な見解は一切うけいれなず、どこかに救いの手があるに違いないという希望を捨てることはなかった

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これには相当強さが必要ですね。


2.積極的に助けをもとめる

自発的治療に成功した患者は見込みのありそうな治療法を探し、ちょっとしたことでも問題解決の糸口をつかもうとした。質問紙、本や新聞雑誌の記事を読み、図書館に行き、著者に手紙を書き、友人や隣人に助言をもとめ、可能性がありそうな治療家を訪ねてはるばる旅行をした。

そのような行動をとる患者にたいして、「面倒な」「ひねくれた」「いやな」患者とおうレッテルを貼る医師もいるが、医師の指示に唯々諾々と従う素直な患者よりも「面倒な」な患者のほうが治りがいいと考える理由は確かに存在するのだ。 

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今はネットがあるから、情報を得るのは容易になりましたね。
「おりこうさん」の患者をやめて「面倒」な患者になろう(^O^)/



3.治った人を探しだす

医療のぺシミズムを消し去る最良の方法のひとつは、かつて自分を同じ病気に悩み、今は治って元気である人を探し出すことである。

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たとえば、30代末で15年間も慢性関節リウマチを患っている男性がいた。何年も抑制的なくすりをのみつづけ、片手の変形が悪化して数度の手術も行っていた。あるときから、彼は病状の変化が自分の感情の変化と関係していることに気づき始めた。そして、自分で健康的ならライフスタイルに変える努力をし、気分を安定させるように心がけた。
さおの結果、関節炎の進行が止まり、くすりを飲まなくてもすむようになった。
その後、わたしは彼のもとに何人かの慢性関節リウマチの患者を送っている。

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これって掲示板でのやり取り、グループミーティングってことね。


4.医師との建設的な関係をつくる

治療に成功した患者は、医療の専門家と同盟を結ぶことが多い。真剣に答えを求める患者の努力を支持するような専門家を見方につけるのだ。

その同盟はたんに「あなたがどんなことをしているのいかはしらないが、そしかくそれを続けたまえ!」という医師との関係もあれば、「こんなことをやってみたらどうだろうか」と積極的に提案する代替医療の治療家との関係もある。

必要なのは、患者の自発的治癒力を信じる専門家、答えを求める患者を励ます、患者に孤独ではないと感じさせることのできる専門家である。
すぐれた、医師は「知らない」と告白することを恥とせず、どんな方法によってであれ、患者が治るのをみることを最大の喜びとするものなのだ。



こういう医師を約一名知っています(^^ゞ


5.人生の大転換を恐れない

わたしが知っている治癒に成功した患者の多くは、その病気になった当時の当人とは別人のように変わっている。治療を探る過程で、生き方を大きく変える必要があることに気づいた人たちなのだ。かえたのは、人間関係・仕事・住む場所・食べる食事・身に着ける習慣など、さまざまである。

あとで振り返って見れば、その変化は人間としての成長に必要なステップだったことがわかるが、それはけっして楽な作業だったわけではない。
変化はつねに難しいものであり、大きな変化は大きな苦痛をともなう。
病気はしばしばわれわれを、解決したいと望みつつ無視してきた人生上の問題や葛藤にやむを得ず直面させる。それらを無視しつづけることは自発的治癒が起こる可能性を封じ込めることにつながりがちであり、思い切って変化への道を歩き出すことは治癒への力強い予兆だといってもいいだろう。



大きな変化は、小さな変化の積み重ねだ。。。。
          と自分に言い聞かすケイしゃんです^_^;



6.病気を貴重な贈り物とみなす

病気は変化への強力な刺激剤であり、ある人たちにとっては、もっとも奥深くに隠れていた葛藤を解決する唯一の機会でもある。
治療に成功した患者は自分の病気を、それなしには人間として成長できなかったはずの、最大の機会 ― つまり天からの贈り物だと考えるようになる。病気を不運だと考えたり不当だと考えることは治癒系の妨げになる。病気を成長のための贈り物だとみなせるようになったとき、治癒系のブロックがはずれ、治癒は始まるのだ。



このように考えることが出来るようになった方、たくさん知ってます。掲示板の仲間たち!


7.自己受容の精神を養う

そんな人にもある欠点、限界、至らなさのすべてをふくめて、自己を受容することは、より高次の意志に身をまかせることを意味する。変化は、宇宙との対決状態の時よりも、この屈服状態の時に起こりやすい。
病気のときに自己を明け渡すということは、回復への希望を捨て、あきらめることではない。
むしろ、病気を含めた自分の人生の情況のすべてをそのまま受け入れ、その情況を乗り越えていくことなのだ。
悲嘆のプロセス段階をおもいだしていただきたい。喪失を受容してはじめて、悲嘆の完了と治癒の達成が可能になる。また、自発的治癒を経験したある男性のことばを思いだしていただきたい。
「そのコツは、自我を捨て、あたまで考えることをやめて、からだが自然に治っていくのにまかせることなんだ。からだは、治しかたを、ちゃんと知っている



私はまだまだ、薬のちからもセンセのちからも必要だけど・・・受け入れる と あきらめる の違いは 最近実感しています。


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by keisyan | 2005-07-28 17:40 | 痛み