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それはわたしのせいでしょうか?

『癒す心、治る力』 アンドルー・ワイル より

― 病気がなかなか治らない。それはわたしのせいでしょうか? ―

患者に「なぜ病気になったか」とたずねると、おもしろい答えが返ってくる。医学生のころ、年配の乳がん患者に片端からその質問をぶつけてみたことがある。わたしの祖母の世代の婦人たちである。

答えは一様に、過去の外傷の関連する内容だった。
「20年前に、転んでテーブルにぶつかり、胸にひどい打撲傷を負った」
「40代前半のころ、事故で胸にけがをした」
などである。

今の患者に同じ質問をしても、外傷の話題に触れる人はまずいない。
そのかわり、いまの乳がん患者はこんな答えをする。
「もう何年も、夫にたいする怒りの感情をおさえてきた」
「悲しみの感情を表現できない」
「自分の感情が感じられない」
などである。

あきらかに大きな変化だが、この変化はなにを意味しているのだろうか。

いま、多くのアメリカ人が心身相関の神秘に魅了され、セルフヘルプ(自助)関連の本がベストセラーの上位にならび、ニューエイジの思想が人気を集めている。そのおかげで、病気に対する個人の責任という考えが強調されるようになった。

われわれは特定のこころの習慣や嗜癖によって、否定的感情の表出に失敗することによって、精神的/霊的生活を送らないことによって、みずからを病気においこんでいる、というわけだ。

そうした考えを普及させている人たちは、善意でそれを行っている。
自分の健康にもっと責任をもってほしい、心の力で治癒力が高まることを知ってほしい、そう願う彼らの善意は大いに評価できる。

だが、意図しなかったこととはいえ、彼らのメッセージが患者のこころのなかに罪悪感を生みだしているのだ。
「がんになったのは、わたしが悪い」
「治らなかったら、わたしが悪い」
病気に対する罪の意識は破壊的である。

れは治癒系の活動を低下させてしまっている。

乳がんは古い外傷が原因だという、かつて人気のあった考えには科学的根拠はない。
抑圧された感情という新しい考えも、同じように間違っているかもしれない。

乳がんは遺伝と環境的因子との複雑な相互作用の結果であり、そこには食生活、飲酒習慣などライフスタイルの問題、エストロゲン性有害物質との接触などが関与していて、それらの影響のほうが感情よりも大きいと思われる。

悲嘆や抑うつが免疫系をおさえ、小さな腫瘍細胞を目立つほどの大きさの腫瘍にまで成長させてしまうおそれがあることは確かだが、怒りなどの感情表出に失敗したからがんになるという考えには同意できない。

また、治らないことがその人の精神性または霊性の状態に対するなんらかの審判をあらわしているというような考えにも、まったく同意できない。

祈りと治癒との関係について調べている数少ない研究者のひとりであるラリー・ドッシー博士は、がんで死んだ東西の聖人たちの興味深い目録を作っていが、その事例があまりにも多いので、がんはほとんどの聖人御用達の災厄かと思われるほどである。

治癒が悟りや否定的感情の超越によって起こるものだと考えたくなったとき は、どうかそのことを思いだしていただきたいものだ。


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イタミッチの出現、マンセイイタミッチへの移行は、生まれてから今までわたしにかかわってきたすべて事柄のせいであり、また、自分自身のせいであるとともに ・・・

誰のせいでもなく、わたしのせいでもないのだ?!

「なるべくしてそうなり、なるべくして治癒していく!」

という言葉を、誕生日の今日、自分自身に贈ります"^_^"


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by keisyan | 2005-10-26 17:35 | 読書