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いただきます

センセのところに入院していた オーちゃん からこんなメールが届きました。

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ケイしゃん、とってもお久しぶりです。
HPを拝見しているので、お久しぶりという感じがしませんが。

その後体調はいかがですか?
私の方は行きつ戻りつですが、前よりは痛くてもそれなりに動けるように思います。こういう状態に慣れちゃったのかな?という気もしますが。^_^;

先日、佐藤初女(はつめ)さんという方の 『初女お母さんの愛の贈り物』 という本を読みました。
青森の弘前の「森のイスキア」という小さな宿泊施設で、心や身体に問題を抱えてそこを訪れる人に、ただ料理を作って一緒に食べるという活動を淡々と続けていらっしゃる方で、数年前に『地球交響曲・第二番』という映画で紹介されたそうなので、ケイしゃんはすでに御存じかもしれません。

宗教には特に関心ない私ですが、この人の本を読んでいると、日々の暮らし、中でも「食べる」ということが心にも身体にもとても大事だという当たり前のことが、しみじみと懐かしく思い起こされました。おりしも今日は雛祭りなので、私もなぜかいなりずし(フツーはちらしずし?)を作ってみようかなーとふと思い立って、油揚げを煮ているところデス。

入院中のなおちゃんのこと、私も他人事とは思えません。

(実はオーちゃんも本名はなおちゃんです。)

ではでは風邪に気をつけて。 

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オーちゃん、それなりにお元気そうで良かった(*^_^*)

二月の初めに書いた 私の身体は誰のもの に初女さんが登場しています。

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初女さんは多くを語らない。人間を分析したりもしない。ただあるがままに受け入れて、そして自然の恵みをたくさん食べさせてくれる。

彼女は 《食べることは生きることだ》 と確信している。「森のイキアス」にやってくる人の多くは、最初は本当に何も食べられないほど消耗していし元気がない。そういう人が、二日三日とたっていくとだんだんと食べられるようになってくる。
食事が進むようになると表情そのものが変わってきて、それを見ると初女さんは「ああ、もう大丈夫だな」と思うのだそうだ。

自然の恵みをおいしくいただくと人間の身体は元気になっいくという。
だから初女さんは、食べ物をいただく時はその食べ物の命をいただいているのだと言う。

「なるべくおいしくいただかなければ申し訳ないと思うんですよ」 と初女さんは言う。初女さんはたくさんのお漬物を漬けている。すると夜中にお漬物の声が聞こえる気がするのだそうだ。「石が重い。もう食べてください」お漬物がそういっているような気がして、気になって夜中に様子を見にいくことがあるという。

私という身体は、食べるという行為なしには考えられない。あたりまえのことにびっくりしてしまった。臓器移植どころではない。だってわたしは他の命(植物や動物)を食べて、そしてこの細胞を総とっかえしながら生きているのではないか!と。

身体というものを通して、私たちは他の生き物を取り込んで生きている。一日も怠ることなく食べ続ける。身体とは、そのようにできている。食べないと死ぬ。生きるために食べ続ける。それが私なのに、そんな燃費の高い存在なのに、それを意のままにできるわけがないなあ、と思う。

早い話、私と言うのは死んで口に入ってくれた生き物によって生かされている存在なのだ。ぎゃあ、てんで情けない。

しかしこんなあたりまえのことを、私はなんで気がつかなかったんだろう。

私は料理が好きだけれども、たとえば 「このアサリさんを早くボンゴレにしてあげないとかわいそう」 などと思って料理したことはないし。、「この春菊を早く茹でてあげておいしく食べよう」 とか思ったことはない。

佐藤初女さんは 「いただく」 という美しい言葉をつかう。
私はいつも 「食べる」 という。
食に対する意識が違うのだ。

ダイエットしようとして、食物を取り込むのをやめると、進退が意のままにならなくなる。
ところが、感謝しながら食べるていると、身体は健康になり身体が一致してくる。

命を命の連鎖に支えられて、人は 《自分を所有する》 という意識を超えるのだ。

臓器移植、摂食障害、少女売春、そのようないろいろの自分の身体にまつわる問題が浮上するのは 《所有を超えるための試問》 のような気がする。なんでこんな問題が私たちを迷わすのか。それは 《命の連鎖》 について、身体を通して知るため過も知れない。

だって身体こそが、人間が他の生き物と共存し奪いあい与え合うその入り口だから。
私たちは頭ではなく、身体で他の生き物たちと連鎖している。いやおうもなくつながっている。

身体は世界についていつも語っているんだ。言葉じゃない言葉で。身体語で。
身体は心についていつも語っている。本当に心が望むものは何かを、身体語で。
肉体を持つことで、私は私以外のすべての生き物とつながる可能性を秘めている。

それを頭を知らない。


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どこかの小学校の総合学習(だったっけ?)で 「鶏を潰して料理する」 という授業があったと聞きましたが、確かに私たちは 「死んだ鶏」 を食べているのではなく 「潰した(殺した)」 鶏さんをいただいているのですよね。

それは、ブタさんも、牛さんも、お魚さんもそうなのですよね。
必要な量だけを、ちゃんとおいしく料理して、残さす食べなくっちゃね。

ライフログにも登録した 『初女お母さんの愛の贈り物』 今度読んでみます。

今入院中のなおちゃんからは  『死にゆく者からの手紙』  で初女さんのことを知ったそうです。
不思議な力のある本だと言ってました。 

それにしても、スージー、ダン吉、ただちゃん、オーちゃん、なおちゃん、、、
みんな ナオちゃん なんだね(@_@)

by keisyan | 2005-03-04 00:01 |