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あきらめる

『こころ・と・からだ』  五木寛之 著

― あきらめる人間 ―

高速道路の分離帯で、排気ガスで真っ黒になりながらも、健気に花を咲かせているキョウチクトウをみていろいろなことを考えます。

それと同じように、人間もそういう情況のなかでこれから先も、たくましく生きていかなければならない。だからこそぼくたちは、極限状態のなかに収容されているという認識を持つことが必要でしょう。そして、そのなかで健気に生きている自分たちを、いとおしむ心と持つことも。

しかし、それは暗い気持ちで、悲観的に世の中を生きていくということではありません。

今まで言われてきた 「あきらめ」 ということとは違うのです。

ぼくたちの生きている現実。それから、そんな情況のなかでも生きていることのすごさ。それを明らかにして、見て、納得する。そういうことが、今、とても大事なことのように思うのです。

ぼくたちはいろんな現実に半分、目をつぶって、「がんばれ」とか「あきらめるな」という、掛け声だけで生きていこうとしています。

そうではなくて、ぼくたちを取り巻く現実をはっきりと認識し、明らかにして究める。

そのなかから、生きていこという静かな生命力が湧き上がってくると、ぼくは信じています。そういう気持ちになれば、今日という一日を過ごす喜び、美しい音楽や絵や自然に対する感動も、おのずと生まれてくる可能性がある。そしてそのなかで健気に生きている自分のからだに対する愛情も自然とにじみでてくるはずです。

こんなひどい環境のなかで、からだは本当によくやっているなあ、こんな状況のなかで自分を支えてくれているなあと、自分のからだに謙虚な感謝の気持ちをもったとき、からだのほうも心に向かって、微笑みを返してくれるかも知れません。

強くあるだけが生きていく術ではないと、ぼくは思います。静かな強さ、優しい心を持つことは、それ以上に大切なことです。永遠の勝利を信ずるなかからではなく、いつかは死によって敗れる者としての 「あきらめ」 のなかから、もう一度再生する人間。

これをぼくは第二のルネッサンスと言っていますが、今ほどそのルネッサンスが必要な時代なのではないでしょうか。

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私は今の自分の痛みに対して、特効薬や即効性のある治療法はないと 「あきらめ」 ています。それでも、毎日を楽しく生きていくんだもん。今朝も動き出すまでが本当に辛かったけど、、、家事を済ませこうやってパソコンに向かうこともできるんだ(^^)v

「ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・
ほんとうは野の花のようにわたしたちも生きられるのです」

                      ・・・『生きて死ぬ智慧』 柳澤佳子 著より



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by keisyan | 2005-10-11 08:11 | 読書